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いつまでも、青い春。

スキーに人生かけちゃった男の独り言。

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母との別れと四十九日


先月、母が亡くなりました。70歳。肺ガンでした。

二年半前に父が心筋梗塞で一命を取り留めた直後、続いて体調を崩し精密検査をした時に見つかり既に手術はできない状況で末期ガンに近い状態でした。
飲み薬での治療から始まり抗癌剤で髪の毛も抜け落ち、食欲もなくなって食べる量も極端に少なくなりましたが小さな身体でよく頑張っていたと思います。なんども入退院を繰り返し通院も頻繁でした。その度にボクが付き添い、急に体調を崩した時などは職場の仲間にシフトを交代してもらい迷惑をかけました。薬も山のように服用しました。あらゆる副作用を抑えるための薬でした。

今年の6月、体調が急に悪化した時「心臓の周りに水が溜まってしまっている。あと3ヶ月くらいでしょう。」と先生に言われました。今後の治療方針についてもいろいろ提案されましたが、もう薬は飲みたくないと本人が強く希望し父もボクも賛成しガン治療に関する薬をやめました。
そこから母は食欲も少しではありますが回復し、治療中はおかゆと梅干ししか食べられなかったとは思えないほど美味しくゴハンを食べられるようになりました。美味しい美味しいと言っていました。それが功してなのかとても元気に穏やかな毎日を送っていたように見えました。宣告の三か月も過ぎこのまま元気に何年も生きられるのではないだろうか・・・でも長くは続かなかった。

マツカワ会の夏カリキュラムがさのさかウォータージャンプの営業とともに終わった翌々日に体調が急変。そのまま入院することになりました。そこからはもう立ち上がることも出来ず食べることも出来ず、電動の介護ベットで起き上がるのが精一杯で寝返りをうつことさえ一人では出来ないほど急激に衰弱していきました。
一日中点滴や心電計器や排尿の管が繋がれて、満足に眠ることもできず苦しい毎日を送りました。早くお迎えが来ないかなと、もう生きているのが辛いと病床で何度も何度も言っていました。
ボクも父ももう先が長くない母を毎日見舞いました。毎日毎日大町から上田まで、日に日に色が濃くなっていく紅葉を車を運転する窓越しに見ながら。

入院から一ヶ月、母は逝きました。最期の四日間ボクは病室に寝泊まりし24時間そばについていました。何ができるわけでもないのですが密度の濃い、とても密度の濃い日々を過ごすことができました。


昨日、四十九日の法要と納骨が終わり気持ちを切り替えるために記事を書いているのですが、やはり別れの時のことを思い出すと涙が止まりません。今でもふと悲しみの中に放り込まれることもありますが、近くで支えてくれ外に連れ出してくれる妻には感謝です。



母は花・植物とクラシックをこよなく愛し、本人の希望通りラジカセから流れるクラシックの音色の中で息を引きとりました。
この世に生を受ければいつか必ず別れがやってくる・・・いくらわかっていても辛いですが、母は天国からボクを見守ってくれてると思います。天国で大好きなお花と音楽に囲まれ、苦しみや心配もなく、穏やかな日々を送れていると思います。
そんな母に心配をかけないようボクはしっかりと生きていきたいと思います。


           




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